『市場の信認』とは何か《№25》

更新日:9月4日

少し前にはなりますが、6月8日の決算員会で塩入清香議員が、「市場の信認に振り回されるな!」との趣旨で片山さつき大臣に詰め寄ったのですが、片山大臣は、「積極的な投資を可能にするようなサステナビリティ」との言葉を使用して、投資家の顔色を窺うことが重要だと答えました。ちなみに、引用したサッチャーについての誤解に関しては、塩入議員に一刀両断されています(ちょっと恥ずかしいかも)。
それにしても、なぜ『市場』というものを、合理的な存在として正当化してしまうのでしょうか。多数の参加者により構成されているものとの認識から「客観的」な存在だとでも思っているのでしょうか。
消費税減税すべき! ⇒ 「市場ガ~」
積極財政すべき! ⇒ 「市場ガ~」
増税すべき! ⇒ し~ん
財政健全化すべき!⇒ し~ん
与党「市場ガー(投資家が安心して国債を購入できる環境づくりが大事:財務副大臣)」
野党「骨太ショック」 ⇒「市場ガ~」
こうしてみると、「市場」とは「積極財政」や「賃上げ」「減税」が困る立場であることがはっきりと見えています。そんな、経済成長されると困る、庶民が裕福になることを歓迎しない、そんな人っているのでしょうか?
もちろん、いますよね。富を独占する金融資本家たちですよね。
ということで、私は「市場」を国際金融資本、その代理人、国際金融資本の秩序で暮らす利得者、さらには躍らされている者、と考えています。ファイナンスの世界での『格付会社』や、コーポレート・ガバナンスの世界での『議決権行使助言会社』などは、可視化された典型的な代理人です。
なお、本著においては、少し異なるテイストで表現していますので、是非そちらもご確認いただけたらと思います。
本著《3-3-1》株主平等の原則
本著《4-5-2》三つの市場の信認
本著《5-3-1》議決権行使助言会社
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