『支配』と『統治』の正体《№27》


『国際金融資本に財務省は支配されている』と書くと、
『あっ、これダメなやつだ』と無視・スルーされるか、『それは陰謀論だ‼』、『いつ誰が誰に対して命令しているんだ‼』なんてことになるのが落ちですよね。でも、私は言いたいのです。「支配」って、「命令」とかの問題ではないでしょ‼てことを。
かの有名な貨幣論を極めている三橋貴明氏は、財務省については「省益や出世のため」であって、「陰謀などはない」との趣旨の発言をされます。つまり、彼は「陰謀論」否定論者です。私は不思議でなりません。その「省益や出世のため」こそが「支配」だと思うからです。
誰かに恋をしたとき、世の中では「虜になる」のような表現もされますよね。つまり、好感をもった相手の考えや、行動を尊重する、あるいは合わせることが起こります。時にそれは盲目的にもです。それって、例えば金融資本が持つ「財政健全化が絶対必要だ」との価値観に対して、財務省の官僚たちが個人としても組織としても共感して持ち続けていることと同じではありませんか。
過去から、ダボス会議のクラウス・シュワブ氏や、経済学者ジャック・アタリ氏のような影響力を持った人物が「財政健全化」を訴えてきました。その国際金融資本家あるいは代理人の価値観・理念に共感し、受け入れたなら、その理念に従って組織は運営されていきます。それは、財務省設置法などにも任務として「財政の健全化」が謳われ強化・義務化されていることにも表れています。これらは歴史的に累々と積みあがり、大きな体制となっているのです。これが「支配」の正体です。
もっとも、私には「命令」の場面も見えています。例えば、ベッセント米財務長官が片山さつき財務大臣と会談して伝える内容が現実の「命令」です。ここでもなぜか、「命令口調」を想像される方が多く発生するのですが、価値観や情報を共有するだけでも「命令効果」を発揮すると私には思えるのですがいかがでしょうか。

こうして、金融資本が持つ価値観の源が、様々な代理人の活動などで制度・規範化し、その後もメディアや教育などでその価値観を、個人レベルでも、組織(企業)レベルでも常に共有化され、組織の意思決定・行動となり、社会が形作られていきます。私はこれを『統治』と呼ぼうと思います。

本著《1-4-1》同調大国ニッポン(石破首相が世界に宣言)
本著《2-1-1》自律思考を邪魔するもの
本著《3-4-1》「法の支配」と「法による支配」
本著《3-4-2》コンプライアンス(法律と社会要請)


コメント