特別号 CGコード改訂パブコメ意見❻「コーポレート・ガバナナンス改革と企業不祥事の関係」
- 福田 敏彦

- 6月2日
- 読了時間: 4分
私が提出したパブコメ意見❻を公開します。
東証および金融庁は、コーポレートガバナンス・コード改訂に際し、パブリックコメント手続きを実施しています(リンク先は東証による運用説明)。
ご注意:これは1分では読めません。
今回、私が提出したパブコメ意見❻を以下に公開します。(❾まで続きます)
コーポレート・ガバナンス改革と企業不祥事(コンプライアンス)問題についての現実主義に基づく、拡張的な意見です。
フォローアップ会議やコード改訂等にも公式に意見を寄せるある識者は、日本経済新聞2026年2月25日のインタビュー記事において、「ガバナンスの要諦は経営者の指名である。株主還元しかできない経営者は交代させられるべきである。」との意見を述べています。さらに同氏は、「稼ぐ力はあらゆることに先行する。否定する全ての議論はナンセンスだ」とも主張されており、私は、価値判断としてではなく、日本企業社会が置かれている現実、状態を示すものとして強く同意します。
ここで私は、貨幣理論ベースにコンプライアンス・ガバナンスを研究する者として、経済政策の不作為を前提とする上でのコーポレート・ガバナンス改革とコンプライアンスの構造的問題を指摘しておきたいと思います。
日本経済(日本市場の経営環境)は長く総需要不足のデフレ環境を脱却できずに30年を経過させてしまいました。この主原因を私は日本経済に対してゲームチェンジャーとなれるはずの政府の財政・金融政策の間違い、不作為にあると考えますが、その妥当性議論を脇に置いたとしても、長く放置されたデフレ環境が、企業経営に対しては暴風雨(逆風)であったことは多くの関係者の理解を得られるはずです。問題は、この長く続いた逆風下で、コーポレート・ガバナンス改革が個社に対してROE改善など資本コスト経営を規律付けてきたことです。どれほどコードが投資の重要性を原則としようが(今回改訂のキャピタルアロケーションやキャッシュアロケーション開示を個社に求めることも同じ)、多数の企業行動は必然的に限界までのコストカットと乏しい需要の激しい奪い合いとなりました。前者は主に合成の誤謬として経営環境をさらに悪化させる方向で、後者は、利益至上主義が暴走して、何を置いても利益・儲けを出さなければとのコンプライアンス問題の強烈な誘因となったと考えます。従って、今後もこの基本構造を修正せずに続ける限り、あらゆる不正は止まらないと警鐘を鳴らしたいと思います。
企業不祥事に関する第三者委員会の報告書を読むと、驚くべき共通点があります。社外取締役や社外監査役らが、「不正の事実を知らない」「問題の兆候を把握できていない」「内部統制の機能不全の原因を指摘できていない」点への指摘が散見されるのです。しかしこれらは、個々の社外役員の能力の問題ではなく、時間が限られる(非常勤)、情報不足(強い社外性の要請)など制度・構造的な問題だと考えますが、近時の会計不正問題においても、たった一人のカリスマ経営者にそのすべての責任が集中し、社外取締役等が不祥事の事実認識さえないまま「守りのガバナンス」さえ実現できていない制度・構造的問題についての議論が一切なされていません。
日本のコーポレート・ガバナンス改革は、欧米的な「守りのガバナンス」から「攻めのガバナンス」に発展させたとの評価が語られてきましたが、私が現実の日本企業社会を見る限り、「攻めのガバナンス」はおろか、「守りのガバナンス」でも効果を発揮できず、むしろ、マクロ経済政策の不作為との関連で足枷でさえあると指摘したいと思います。失われた30年を経過した今、現実分析を避け、ひたすら「実質化」という形骸化したスローガンで突き進むことは、もはや許されない不作為と言わざるを得ません。
パブリックコメントは、東証にとっての「建設的な議論」の場であり、寄せられた意見こそが、東証に対する“独立社外取締役”としての外部監督機能を果たすものです。この観点から、寄せられた意見に真摯に向き合い、検討していただき、対応について検討過程を含めた透明性の高い説明責任を果たす開示がなされることを強く要望します。
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